燻煙肉(ハム)のなかの鉄(山田正紀/講談社 |
人類は既に滅亡を目前にしていた。残り少なくなった人類は、農耕はせず採れた植物だけを食べる「草食い(カウ)」、人だけを食べる「人喰い(マン)」の二つに分かれていた・・・
何でこんな古い短編の感想書いてるかって、そりゃ最近のHELLSING 読んで思い出したんですがな~うふ♪
<<人食い>>
何故人が人を食うのか?
吸血って言うと「食う」というより、体液を分け与えるという感じです。処女の白く柔らかい喉に堅い牙を突き立て・・・言わずもがなSEX描写ですわね。ほほほ。繁殖するしな。
じゃあ「喰う」は?
食われる人間の死が前提にありますから、繁殖する・増えるというイメージより、相手を取り込んでしまうというイメージになりますね。同じレベルの生体を生み出す行為が吸血なら、人肉食は別の存在へ変化する行為って事でしょうか。
「薫製肉~」の中では・・・食べられた肉は食べた人間の一部になり、もう一度新しい命として生まれ変わる。食べられた人間は、連綿と続く命の輪に取り入れられ再生するが、誰にも食われなかった人間は、たった一人、闇の中で腐り果てる・・・
ひどく先細りな輪廻思想を持って「人が人を食べる」生活をしています。
思想or宗教で食ってるなら人は変化しません。でも変化するのがHELLSING。
<<自己と他者の非同一性ってヤツ>>
取り込んで「何も生み出さない」なら、取り込んだ側が「単一個体では無いモノ」に変化すると考えるのは、極々自然な流れかと。
人間には誰しも「自我」があります。「自分が自分である」という認識ですね。そして「自分は他人ではない」という認識もあります。
「我は我」「私はアナタじゃない」
でも、人を食う事で、食われた人間の人格も魂も時間も吸収してしまって、二重人格よろしく、人格が増えるわけじゃなかったら?記憶だけで無く自我も存在全てを吸収するのだったら?
「我は我で他でもある」「アナタでもある私」
になっちゃうんですよ。それはもう人間の論理レベルじゃないんですけど、人間って単独で生きる生物じゃないですし、一人で生きねばならない孤独からは開放されるかもしれないですね、強大な力と不老不死と一緒に。
でも、完全な存在は素晴らしい事なのか?完全である事は幸せなのか?
人の存在・進化の過程全てのテーマの根源、多くのSF作品が語る事です。
まさかHELLSINGで見れるとは思いませんでしたが!予想外の面白さです。
<<おや?っと思った方>>
そうです、肉食者の輪廻思想「22XX(清水玲子/白泉社」が、設定そのまま。でも同じ設定を使ってこそいますが、切り口・描写ポイントが違い、切なくロマンチックな作品に仕上がってます。
パクリでイカンじゃないですよ。SFジャンルには良くある事で、むしろ「どの作品にも必ず何かしらベースがある」ジャンルなんですから。まぁ・・・清水さん、単純に山田正紀が好きなんだと思います。他作品にも細かく使ってますし(笑)
終末曲面は、もう入手し難いですから、「22XX」で読むのも良いですね!
かなりオススメ作品vv
<<他収録作品>>
贖罪の惑星/薫煙肉のなかの鉄/闇よ、つどえ/銀の弾丸 /熱風/非情の河/終末曲面
「贖罪の惑星」も人が変質する終末。
「闇よ、つどえ」異能者ネタ。でも能力よりも破壊衝動描写の方が印象的。HELLSINGこんな結末でもいいやと思ってました。違いそうですけどね。
「銀の弾丸」はクトゥルー、これもぐりぐり捻ってあります。正当派クトゥルーファンの方には物足りないかも。案外濃い方がココ読んでそうなんですよね(笑)ほら、なっちーちゅーたらクトゥルー必須アイテムだし。
全体的に「闘争本能」がイメージさせる作品集になってます。ハードカバー版の後書きで、
「サム・ペキンバー「戦争のはらわた」という映画を見た。憎悪と、苦悶が画面からひしひしと感じられるような、いかにもこの監督らしい映画だった。そのラストで、主演のジェームス・コバーンが、凄まじい銃声を圧して、高らかに笑い声を上げる。いつまでもいつまでも、笑い続ける。
あの笑いはなにごとかを説明している、とぼくは思う」
ってな事を山田正紀本人が書いちゃう様な傾向で、ハードボイルド風味のSFというか・・・がっつり男臭い。男臭すぎて、ちょっとキツい、鼻につくという方もいらっしゃるかも・・・そりゃもう大好きジャンルでございますorz
じゃなきゃHELLSINGやBLACK LAGOONにハマんねーよ!!